ゆるくアンテナを立ててみよう
朝になると憂鬱になる。
そして、重い足取りで職場に向かう。
職場に近づくたびに体は重く、呼吸は深くなっていく。
晴れない気持ちで1日をなんとか乗り越える。そんな毎日。
そんな憂鬱の中、時々小さな幸せが訪れることがある。
例えば。
ラジオから好きな曲が流れたり。
テレビで偶然楽しい番組に出会えたり。
家族との会話が予想外に弾んだり。
偶然なのか、必然なのかわからない。
意味があるのか、ないのかそれもわからない。
でも、そんな時、僕の頭によぎる言葉がある。
「シンクロニシティ」
シンクロニシティとは
シンクロニシティとは心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱した概念。
「意味のある偶然の一致」を指す言葉で、日本語で訳す場合は「共時性」。
ユングといえば、フロイトやアドラーと共に有名な心理学者であるけれど、彼の推奨するこの「シンクロニシティ」や、個人を超えた全人類が共通して持つ無意識「集合的無意識」の提唱など、少々神秘寄りといえる。
そのため、好き嫌いが分かれるのではないだろうか?
僕は好きだけれども。
一瞬の出会いを大切に
出会いとは人間同士だけで起こるものではなく、出来事や物とも起こるものと僕は考えている。
だから、日々憂鬱な中でも少しアンテナを立てるようにしている。
その中で訪れる出会いに心を揺さぶられ、僕は「シンクロニシティ」を感じる。
「意味のある偶然の一致」をそこに見出そうとする。
そして、小さな出会いによって得られる「幸福感」が「意味」なんだと受け取っている。
押しつぶされそうな日々の中で、心を軽くしてくれる何かが起きたことは感謝こそすれ、恨むような事ではなのだから。
YouTubeでもテレビでも出会いはある
出会いは訪れる。
「シンクロニシティ」を意識して生活をしてみると、不思議とよく出会えるようになる。
悩んでいた時に、ふとYouTubeを見てみたらオススメに出てきたとか。
ネットで、偶然気になる記事を見つけたとか。
どれもこれも、小さすぎてすぐに忘れていくような事だ。
でも、その一つ一つに意味はあると思う。
出会いたいものに出会えた時、「シンクロニシティ」を思い出して欲しい。
それは、出会うべくして出会ったのだから。
この世に偶然はなく、全ては必然なのかもしれない。
どんなに抗おうとも、結果は決まっているのかもしれない。
虚しいと思うだろうか?
それとも、心踊るだろうか?
怯えず、傲ることなく、心に起伏を作らず。
起きた出来事に、冷静に向き合う心持ちでいたいと僕は思う。
日々は辛いし、憂鬱だ。
それはいつ終わるかわからない。
そして、いつか終わる保証はない。
だからこそ、せめて、自分に優しく生きよう。
ゆるく、楽に、笑顔を浮かべる余裕くらいは持って。
仕事なんて、辞めたって次はある。
今の職場が全てじゃない。
年齢も、家族も気にしなくていい。
まずは自分を守ろう。明日の朝を迎えるために。
さあ、今日は休もう。
明日の出会いを楽しみに。
それでは良い1日を。