【育児】5歳児の男の子。人としての成長。【父として】

1. 日々の成長

息子と接していると驚くことがある。

例えば、言葉。

教えたことのない言葉を平然と使っていて驚かされることが多々ある。

そんなこと知ってるの?

もう何度言ったことか。

これからも、しばらく続くだろう

息子の知らない一面を垣間見たようで微笑ましくなる。

一方。

日々、汚い言葉使いも増え、僕も妻も辟易している。

ある程度は仕方がないと、僕は容認の立場をとっているが、妻はいつも御冠。

ことあるごとに息子と衝突している。

そう。

息子との衝突が増えたのも、1つの驚きだ。

どうやら反抗期らしい。

思春期だけではないのだ。

小さな体の中には、すでに1人の人としての尊厳と、僕らと対等であるという強い意志が見え隠れしている。

僕はできる限りその思いに答えてあげたい。

親として、1人の人として息子と向き合う努力をしよう。

息子と、向き合うには覚悟がいる。

僕は、息子を通して己を見つめる。

彼と向き合うことで、過去の自分を僅かながら思い出し、記憶を辿る。

自分もこうだったに違いないと、探り探り息子と接している。

息子が何か悪いことをしたとき、僕はまず考える。

彼がなぜそうしたのかを。

何か理由があるのではないかと少し考える。

時には直接聞く。

自分の望んだ答えが返ってこないこともある。

冷静に声を荒げず、注意をする。

冷静さを保てるようになったのは、最近になってからだ。

前は、咄嗟に大声を出してしまうこともあった。

ただ、自分が気に食わないからだ。

目の前で息子がしている行為が気に食わないから、声を荒げてしまっていた。

感情に流されるがままだった。

それが、僕は嫌だった。

そんな自分が嫌だった。

2. よく悩み、よく学ぶ

育児に悩む時に、僕はある人を思い浮かべる。

父だ。

僕の父は、あまり怒らない人だった。

だが、愛情が乏しかったと感じたことはない。

その時代なりの家族との接し方をしていた、と言えば伝わるだろうか?

過剰な愛情表現はしない人だった。

父とはよく遊んだし、よく話した。

彼は読書家で、登山家で、冒険家だった。

彼の生き方に僕はどこか憧れている。

子供の僕が見ても、彼には自由を感じたからだ。

とはいえ、彼が日頃傍若無人に振る舞っていたわけではない。

ただ、他の大人と比べた時、縛られていないと感じた。

それだけだ。

父は穏やかな人で、どこか不思議な人だった。

僕は彼を尊敬しているし、大好きだ。

ちなみに、思い出として父のことを少し語ったのだけれど、彼は健在だ。

遠く離れてしまったけれど、母からはたまに連絡をもらって近況を聞いている。

父本人からも、年に何回か写真付きの葉書が送られてくる。

父は言わないが、孫に会いたいのだろう。

僕も会いに行きたいと思う。

3. 今という瞬間を残す

幼き息子も、老いた父も日々の時間に晒されて着実に変化していく。

僕は、その一瞬をなんとか捉えられないかと画策する。

だからかもしれない。

最近カメラが欲しいと思い出したのは。

スマホで充分。

確かにそうだろう。

その時を写すなら、スマホのカメラ機能で充分だ。

でも見返すこともなく、埋もれていってしまう。

手軽に何枚も撮れるという便利さは、写真1枚1枚を軽いものにしている気がしてならない。

それを否定する気はない。

ただ、僕は被写体と真剣に向き合い、その瞬間を残すにはスマホのカメラでは物足りないと考えてしまった。

2度と戻らない瞬間を残したいと思うからこそ、カメラが欲しい。

まずは、色々見てみよう。

新しい趣味にできれば、それもまた良し。

それでは、良い1日を!